2017年7月21日金曜日

アーシングの威力



庭ではだしになる。
畑ではだしになる。
ついでに畑ではだしで歩いてみる。
ついでにはだしで野良仕事してみる。

こんなに心地よいとは思わんかった。

ふわふわした土の感触。
さらさらした草の感触。
でこぼこした石の感触。
ちくちくした刈ったばかりの草の根元の感触。

むき出しの足の裏が、あらゆる物体の存在を教えてくれる。
いや、そんなことよりも、なんとも言えぬ、なんだろう、ずいぶん忘れていた感覚。。。子供の頃に知っていた感覚。
大地と、この世と、直接触れているという実感と安心感。。。

その感覚にひたろうとすると、大人になった疑い深い心がさわぐ。
「汚い。危ない。破傷風になる。。」


アーシングという言葉を聞いたのは、つい最近だった。
エハンデラヴィという冒険家が教えてくれた。

地面に直接足をつけることは、じつはわたしは昔から知っていた。
身体に電磁波がたまるから、大地に足をつけて放電しなさいと母に言われていたことがあったので、ときどき地面に足と手をつけて四つん這いになって、
「ほうで~~ん!」
と叫んでいたから。

それを徹底してやったことはなかったが、ここに来て、この「ほうで~ん!」がいかに身体に良いか、いかに私たちが常日頃電気まみれになっていて、それを放電する機会がないかを知る。

さすがに夏の虫が多い時期に、畑ではだしで野良仕事もできないので、黒足袋を履いて作業をしていた。

地下足袋はゴム底なので絶縁する。だから普通の綿素材の黒足袋を着用。


ある日、足の裏に異変を感じた。
「あれ?魚の目が。。。。?」

それはかれこれ10年以上は持っている持病の魚の目。
さながら活火山のように、カルデラがぱっくりと深い口を開け、カルデラのフチは毎年のように高くなって行く。歩くとフチがあたって痛いので、ときどきカッターで削ぎ落とすが、ほどなくしてまたカルデラのフチは高くなる。それをカッターで削ぎ落とし。。。
そうやって10数年、この魚の目火山と戦って来たのだ。

それがある日。
「か、カルデラが消えてる。。!」
ぱっくりと深い底なしの穴を見せていたはずのカルデラが平らになっている。
「えーーー。なんでえーーー?」


頭をぐるぐるめぐらせる。最近何か変わった事をしなかったか?
ある!あれしかない!アーシング!

1ヶ月前から畑と庭でやっているアーシングだ。
調子がいい、野良作業が疲れない、などの効果は実感をしていたが、魚の目まで治すとはしらなんだ。恐るべし!アーシング!



おもしろいので、写真を撮ってみた。
お見苦しい写真を失礼いたします。

これが6月20日、最初に発見した、消えていくカルデラの様子。
元の姿をお見せできないのが残念。(そんなもん、いらん)
なんともいえぬひどいカルデラであった。


それから20日後/7月10日。
そこに何かがあった足跡はあるが、これがかつて活火山だったとは夢にも思うまい。


そして、10日後/7月20日。
もはや大きな指紋の一部のようにしか見えない、かつての魚の目火山。



アーシングは、私たちの身体にたまった電磁波を放出して、自然体に戻してくれるというだけではなかった。

植物が根を張るために大地を必要とするように、人間もその根のごとく、大地を必要としていたのではないか。それが60年代に靴の底にゴムを貼るという画期的な文明のせいで、大地との交流が絶縁状態になった。そこからありとあらゆる病いや問題があふれて来たのではないだろうか。


眼に見えない根っこが大地と私たちを結んでいる。大地も私たちの皮膚の一部ではないか。いや、私たちこそが大地の一部なのだ。

魚の目事件をとおして、大地とのつながりをじかに実感させてもらったいい体験だった。

大地さん、ありがとうーーっ!
魚の目さん、ありがとうーーーっ!


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