2015年7月8日水曜日

言葉にならない感情



感情。。。。ってなんだろうね。

これは辛い感情で、これはハラが立つ感情で、これは嫉妬する感情で、これは悲しい感情で、、、
そんなふうに、線引きできるもんなんだろうか。

やまんばは先日、怖いと思う感情が、ワクワクする感情とほぼ似ていることを知った。
どこらへんにパッキリと別れた感情と感情の境目があるんだろうね。
ひょっとしたら、それは「これは怖い感情」「これは悲しい感情」って言うように言葉を作ったから、そんなふうなものがあるって思っているんじゃないだろうか。

そんなことを考えるってばかばかしい?

最近の犯罪を見ていると、なんてことないことで犯罪を犯す。その根底にはその人がとても自分の感情にふりまわされているからじゃないだろうか。
じゃあコントロールすればいいの?
ほんとに?
そんなことできる?
ムリヤリそんなことしたって、どっかで溜まったものが出てきちゃうんじゃないの?そしたらまたコントロールして押し殺す。

そっちの方向じゃなくて、その感情って言われているもののしくみを解いていくってのはどうだろう。


きのう言葉にならない感情がそこにあったんだ。
それでこれはなんの感情?って聞いてみたんだ。
誰も答えてくれなかった。

そこでやまんばは、ああ言葉にしなくていいんだっておもった。

これは何々という感情で、、、と言うと、そこで自動的に、
「これは悪い感情だから、ああしてこうして克服しなければいけない」
なんて、また別の感情を作ることになるんだろうからね。
おもしろいね。

ただそのここにある何かわからない心の中から沸いてくる、そしてそれが身体を伝っていく、ふしぎなエネルギーの往来。それを感じ続けることでいいんだと。

するとふしぎなことに、それまで気づかなかった視点がポソッ、ポソッと、小さな泉から小さな水が沸くように沸いて来たんだ。

きっと、これはあたまでああでこうでと考えて出て来るもんじゃないんだな。

わしらは「考えて答えを出す」とか「考えてなにかをやる」とおもっているけど、
本当は、考えが落ちたところに答えがあるのかもしれない。



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