2014年2月22日土曜日

わしらは自分に正直じゃない



佐村河内さんの一件は、わしらに何かを教えてくれる。
ゴーストライターの方は、ほんとうに勇気のあることをしたなあ。

彼は自分に正直でありたいと思ったんだろうなあ。どんな誹謗中傷を受けてもかまわない、自分にもうウソはつかないと。

これは今のわしらに大きな衝撃を与えてくれる。

わしらは自分に正直じゃない。
やまんばも正直じゃない。でも正直でありたいと心底思う。
正直ってどういうことなんだろうか。

わしらは人に対して本音と建て前を持っている。だけど自分の中にも本音と建て前をもっている。そしてその「本音」さえもじつは正直じゃない。
ありとあらゆる包装紙でくるみまくっているのだ。

これを無意識と言う言い方をして、隠してしまおうとする。
だけどこれは無意識じゃないんだ。意識的にやっていることだったんだ。それを無意識という言葉に置き換えて、「手に負えないからほっておく」ということをやっているだけなんだ。

心の中の、ホントの心は、掘り下げていくと見つかる。必ず見つかる。

頭ではわかっているのに、行動できないことがある。
人は理想を追い求めるあまり、ムリヤリそれをやろうとする。だけど長くは続かない。
そこにヒントがある。「うまくいかないこと」にヒントがある。
な、ぜ、か、うまくいかないのだ。そこで「およ?」っと、気がつく。

宇宙の秩序は、そんな自分の、ほんの小さなことまで、配慮して、行き詰まらせて、本人に気づかせてくれようとしている。

そこには必ず「観念」がある。
人生とはうんぬんという、大きな観念から、冷えると風邪を引くという、「あたりまえ」な観念まで、ありとあらゆる観念にくるまれている。一つの観念からまた別の観念へとどんどん広がっている。
それがわしらをがんじがらめにしている。

観念は感情を呼び起こし、想像をふくらませる。
それを何度かくりかえすと、目の前に物質として現れ始める。それを見て、「ああ、やっぱりその観念は正しいのだ」と確信する。
確信されたものは固定化して、居座りつづける。何年も何十年も。
その観念に気がつかない限り。

だからうまくいかないで、もんもんとしている自分に正直になる。
もんもんとしている自分を真正面から見る。
これはなぜなのだ?なんの観念から来ているのだ?と。

すると一番最初の観念にたどりつく。
ああ、これのせいで動けなかったんだ。。。。。と。

そのとき、山のようにくるまれていた包装紙はどこかに消えている。




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