2013年12月17日火曜日

過去も未来も今つくられる



今ここ!ってことがいわれるけど、今ここってどこやねん!とおもってた。
でもこんなことじゃないかな~って思うことを書いてみる。

それは過去のなかで生きるのをやめることなんだな。


今の自分は過去からできてるって思ってるよね。それが自我であり、アイデンティティ。それはそれで「自分!」ってモノをうんと自覚できるひとつの方法ではあるんだけど、じつは弊害もあるんだ。

それは過去にしばられもするってこと。

過去を持ってくるから自分が自覚できるけど、でもその肝心の過去のいろんな考えに自分自身が縛られてもいるってことなのだ。

私らはそもそも過去があるから自分がいるっておもってる。けど、ほんとにそーなんだろうか?過去が消えると自分が消えるって思ってるならば、記憶喪失の人は消えていなくなるんだろうか。でも記憶喪失の人でもちゃんとそこに存在しているじゃない。

ということは、私らは記憶で自分をとらえているということなんだ。記憶があってこその自分。だけどほんとは記憶がなくても生きている。今この瞬間に過去が消えてなくなっても、名前さえもわからなくても、わたしが生きているのはまちがいない。




過去を持ったまま、今にいるということは、それを未来へも持っていくという可能性が大きい。とゆーことは、必然的に未来は予測できるということである。

私たちの自分で作った法則、観念、条件づけ、常識だと思っていること、すべてをそのまま未来へまで持っていって使う。だからほとんどの自分自身の未来が想定できちゃうわけだ。

自分の未来が想定できちゃうほどつまらんことはない



今の状況が気に入らないのなら、過去の法則を持って使っていく限り、これ以上気に入るようにはならないってことだ。

気に入らないのは、過去の膨大な記憶の中で、気に入らないようにしむけている、秘密の法則が隠れひそんでいるはずだ。ものすごーい過去の記憶の押し入れの中の底の底の、そのまた奥地に、どろ~~~んと流れているヘドロみたいなもんかもしれん。それを見つけ出すにはちょと時間がかかりそー。。。

過去を持って来ている限り、おもしろくない未来が待っているのなら、過去を使うのをやめればいーのだ。
どーやって?

過去の雰囲気を持って来ないこと。
過去のトーンをもたないこと。
過去のアレコレにとらわれないこと。
過去ネガティブに反応していた反応のパターンをくりかえさないこと。

やっぱこれしかないな。
今に生きること!(けっきょくそれかい!)



今のトーンを生きる。
未来は、今、この瞬間に作られている。
だからこそ、今、まったくあたらしいトーンを自分でつくるのだ。意識的に。

未来は自分で作り替えるのだ。
どこかの誰かのお力にすがって乞い願って生きるのもいいけど、それだといつまでたっても外のものに依存しなければならない。苦労したらいいことが待っていると考えたら、苦労しつづけなければ、いいことがこないことになってしまう。
それでいいの?

ほんとは自分の思うがままに生きられるんじゃないかい?
きっとこれまでにそんな人たちはひそかにいたはずだ。
じゃその秘密は何なんだ?



今まで自分がもっていた法則は、小さい時に知らないあいだに植え付けられて来た法則だった。その法則はいつでも捨てられて、いつでも作り替えることが出来る。そうじゃない?だって、作り替えられないって思っているのは、まさにあなたの心なんだから!今この瞬間につくりかえることが出来るのは、その心。努力も何もいらない。
選択。この世はすべて選択なのだ!

今、この瞬間に未来は作られる。未来は果てしなく蓋然性に満ちあふれたいるのだ。今が原因で未来が出来るんだから、今どんなトーンでいたい?
暗いトーン?明るいトーン?

重たい過去を担いで生きてもいいよ。けど担がなくてもいい。
まったく今、生まれて来たばかりだと思ったら、過去なんかきのうのあいだに死んで、今日生まれ変わって来たと思ったら、あなたの未来はまったく未知で溢れている。
どう?どうする?
過去を担いで生きる?
それとも過去を担がないで生きてみる?

私たちは今、生きてるんだ。今、生まれたばかりなんだ。
今、生まれたばかりのまっさらなトーンで生きてみたら、その瞬間、未来はおびただしい蓋然性になり、そしてそのあなたの過去もまったく別の過去になる。

今の中にすべてがある。過去も未来も。


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