2013年5月28日火曜日

加害者でいいじゃないか




去年ウチの大家さんに、庭が草でぼーぼーなのをとがめられた。
「もう。もう。こんなになって。。。!」
と、ひとり言のようにつぶやきながら、ぶちぶちと草を引きちぎっていた。

ここに一つの法則がある。
庭をきちんと手入れしていることが、正しいことである。
庭の草がぼーぼーなのは、まちがっていることである。

よって、庭を草ぼーぼーにしているわたしは、まちがった人なのである。
判決、有罪!
すると自分を裁き始める。

やばい。ちゃんとしてなかった。ああ、ちゃんと草を抜いていれば、おこられることはなかった。どーしよー。
心はどんどんエスカレートし、家を追い出されたらどーしよー、という恐怖のズンドコに入った。

するとその罪悪感に耐えられなくなったヤツが、反論し始める。

そんなこといったって、どうよこの庭。木だらけじゃないの。こんな面倒くさい庭、職人にしか扱えないわよ!管理しろってえのがムリな話よ。毎日忙しーのよ、あたし。あたしは庭師じゃないっつーの!

すると気の弱い方のあたしが、
だめよー、そんなこといったらー。大家さんに追い出されるわよー。ああ、ちゃんとしとくんだった。ああどーしよー。。。

すると気の強い方のあたしが、
何言ってんのよ。あんた、賃貸滞納したことあんの!?一度もないでしょ。そんな人追い出すはずがないじゃないの!

え~~~、でも、そうはいってもあたしの方が悪いんだし。。。。。

と、えんえんと一人芝居するやまんばがいた。罪悪感のオンパレードである。
しまいにその罪悪感一人芝居に疲れて、ふとあることばがよぎった。

「加害者でいいじゃないか」

被害者という立場は文句をいうがわで、なにもしなくてもいいけど、加害者は悪者である。悪者は裁かれないといけないという法則の中にいる自分に気がついた。
大家さんにとってわたしは、質の悪い店子で、悪者で、加害者である。

だとしたらどうだというのだ?

そのとき肩の荷がおりた感覚になった。

今まで、被害者にはなってはいいけれど、加害者だけはなってはいけないとおもっていた。だけどじっさいは私は今までいろんな人に迷惑をかけて、知らないあいだにいくらでも加害者になっていたはずなのだ。

知らなかったら加害者になってても良かったのか?意識化されたものはそうであってはいけないのか?
それは自分に都合のいい解釈じゃないか。



加害者でいいじゃないか。
なんということばなのだ。
罪悪感の塊であった私にそれはあってはいけないことばだったのだ。だがそれが不意に心の奥に入った。
それは自分で自分の悪い部分を受け入れた瞬間であったのかもしれない。


それから私は庭が草でぼーぼーなのが気にならなくなった。時期が来れば適度に草むしりをする。もう庭を見て罪悪感を感じなくなっている自分をみつけた。


絵:オリジナル「インドでヨガ」



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