2012年8月21日火曜日

石けんなし生活で思うこと


石けんなし生活でなにを感じたかと言うと、石けんはそれほどニンゲンにとって必要なかったってことだ。

むしろそれをたんと使うことによって、いろんな弊害が起きる。その不快な弊害をなくすためにまた何かをする。その何かをしたことによって、また別の弊害を生む。なんかそんなことの繰り返しのように思えてきたのだ。

つまるところ、ニンゲンは、そこまでアレコレしなきゃいけない生き物ではなく、なんにもしないで、そのまんまで即完璧なんじゃなかろうか。

石けんなんてつい最近できたものだ。原始人も平安人も鎌倉人も江戸人も石けんなし生活だったじゃないか。それでも北斎なんか89歳まで生きられたんだ。石けんなくてどうしようもないカラダなら、人類なんてとっくにこの地球上から消えている。

いい香りとか、さっぱりすることの楽しさだけ味わえばよかったんだ。だけどそれがだんだんもっときれいに、もっと清潔に、もっとゴージャスにとエスカレートする。すると今度は、菌が、ウイルスが、といいだす始末。

今度は恐怖によって石けんを使うことを迫って来る。するとあれもだめ、これもだめ、ああしなさい、こうしなさい、といいだして、いつのまにか弊害の中で恐怖にあおられてあれで除菌、これで防御をしはじめるのだ。

だが、いっぺんそれを取っ払うと、一体なにが弊害をもたらしていたのか分る。バランスを崩させていたのは何かが分る。

ニンゲンは今までも、これからも、いつだって完璧な存在なのじゃないだろうか。現代人は弱いとか、昔とは違うとおもうのは、それだって思い込みかもしれないじゃないか。


全ての混乱の元は、このそういうあーでもないこーでもないという思考からきている。最初に石けんをほしがったのは思考だ。もっともっとと言いだしたのも思考だ。恐ろしいからこうしなさいと言ってきたのも思考だ。それに「そうだそうだ」と同意したのも思考だ。足りない足りないと思うのも思考だ。足りないから何かで埋めようとするのも思考だ。

だけどやまんばはおもったんだ。
石けんなしでもニンゲンは生きられる。これはすごい発見じゃないか?アレコレすることもなく、ただそのカラダそのものが完璧で、そのからだに何か起こっても粛々とカラダが治癒を施すすごい英知がすでにここにはあるんじゃないかと。

畑に草が生えるのも、自然が傷口を癒すように粛々と大地のバランスを取り戻すためにおこなっているのじゃないか?
肥料でメタボになった病んだ野菜に虫がつき、粛々と大地に返していくんではないか?

ただニンゲンの思考が勝手に動揺してあっちゃこっちゃして物事の真実を見えなくさせ、混乱させているだけで、自然界は黙ってそれを完璧な姿に戻していくだけなんじゃないかと。

ほんとはすごくシンプルなんじゃないかと。


絵:MF新書表紙「快感のスイッチ」きゃー!これはええでえ〜〜〜〜〜。

2 件のコメント:

  1. まぁ、石鹸漬けの生活なんて高々この100年くらいの話ですからね。
    私の子供の時は毎日風呂に入る習慣もなかったし。
    あれ?お金がなかったからかな・・・。(苦)

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  2. 豆科の植物で石けんみたいに泡のでるやつがある。ニセアカシヤだったっけ?いつも散歩で通る遊歩道の途中にあるよ。
    でもそれをみんな使ってたわけではない。
    お金がなかったからでもない(笑)。

    これほど風呂好きは日本人だけなそうな。
    他の人種はもっと入ってない(笑)。

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