2011年12月16日金曜日

大根の死はどこにあるのか?

大根が、畑の外にも畝の道にもあっちゃこっちゃから勝手にでてくるので、それを抜いちゃあ食べている。ウチの雑草、大根だから。ほーっほっほ。
でも問題は大根の葉っぱ。贅沢な悩みなんだけど、葉っぱばっかり残る。毎日ゆがいておひたしにして食べるのも、ふりかけにするのも、つけものにするのも飽きたので、この寒い冬のために、乾燥させてお風呂に入れる事にした。からっからに乾かして湯船に浮かべる。う~ん、いいにおい。お日さまの匂いがする。

ケチニンゲンの私、カラカラの大根の葉っぱを風呂に入れて3日目。ふと気がついた。
あれ、緑色の葉っぱ?
小さなみずみずしい葉っぱが、横に寝かされた大根の葉っぱから頭をもたげている。お風呂を終えれお湯をぬいたあと、バスタブの脇によけておいた葉っぱから、新芽が続々とでていたのだ。茶色に乾いた葉っぱより多い。いつのまにか緑色の葉っぱに戻っていたのだ。

おいおい葉っぱ君、君は大根から切り離されて、お日さまに当てられてからっからに乾燥させられて「死んだ」はずじゃなかったんか?んまあ、それでも水につけられて水を吸収して少しは成長もするだろう。しかしその吸収するはずの根っこは君にはない。いや、そもそもその緑色の葉っぱをぐんぐんと太らせる力はどこにあるのだ?
やまんばは風呂に入りながら一人へらへらするのであった。

そもそも植物の「死」とはどこらへんにあるのだろう。葉っぱは根と切り離される。しおれる。時々雨が降る。また息を吹き返す。またしおれる。黄色くなる。茶色くなる。微生物や菌が付く。それを栄養としてキノコが生える。葉っぱのエネルギーはキノコに移行する。キノコがそのエネルギーを吸い尽くす。土に帰る。土の中にそのエネルギーは入る。そのエネルギーを植物の根っこが吸い上げる。。。。

問題。では大根の死はどこにあるのでしょう?

根っこ切り落とされた時?枯れた時?キノコが着た時?土に帰った時?
あ、やまんばに食われたときか。
いやいやそのやまんばに食われたときも腹の中でエネルギーに転換されていく。

死とは、その生き物が動かなくなるとか、息をしなくなるという事を前提にしているんではないだろうか。それはニンゲンが「見ていて動かなくなる」から「死」とよんでいるだけなんではないか?
ところが植物は基本見ていて動かない。だからどこらへんが落としどころかわからない。つまり「死」というものは、ニンゲンの解釈ともいえる。

だがその死も、山で動物が死ねば、ほかの動物や昆虫や微生物にそのエネルギーは転換されていくではないか。死はほかの生き物に生を与えるのだ。ずーっと命はつづいているのだ。
私らニンゲンが勝手に「これは生」「これは死」と名付けているだけなのじゃないか。

私らはこの地球上を知っていると思い込んでいる。大根が大きくなるのもそのシステムを知っていると思い込んでいる。本当にすべて知っているのなら、そのニンゲンの英知を結集した肥料と農薬ですべてが成り立つはずだ。だけれどもその肥料や農薬のおかげで自然が破壊されていく。すべて知っているのならその問題は解決されているはずなのだ。だが事態はもっと深刻になる。

私たちは何も知らないのだ。知っていると思い込んでいるから、あっちこっちから矛盾がでてくる。知っていると思い込んでいるから、自分たちでなんとかできると思っている。その結果原発や放射能を生み出した。こんどはその手に負えないものも自分たちでなんとかしようとしている。できるのだろうか。

風呂の中で風呂の水で大きく育った大根の葉っぱを眺めながら思う。
この世はわたしたちニンゲンが考えるよりも、とてつもなく大きなものが動いているんじゃないだろうか。私たちニンゲンの知らないところでいろんなモノがせっせせっせと浄化され、バランスを保つように動いているんだろうなと。

それは石けんなし生活をして、石けんというものがどんなにいらないものかを知ったし、自然農やたんじゅん農法で肥料が意味のないものともわかってきたからだ。その両者はともにニンゲンが「これがないといけない」と作り上げて来たもの。だが結果としてそれはニンゲンの身体をアンバランスにさせ、自然界にもアンバランスを生み出した。

今回の原発や放射能問題も私たちニンゲンに何かを教えようとしている。ニンゲンのおごりに対するやさしいメッセージなのではないか。
大根を動かしているこのエネルギーは何なんだろう。広島や長崎が今も人が住んでいるのはなぜなんだろう。そこでとれた野菜が食べられるのはなぜなんだろう。原爆が落とされた土地は何万年も住めないはずではなかったか。ニンゲンが研究によって導きだしてきたものは果たして真実だったんだろうか。

そのメッセージはたんじゅんに「じゃあ原発反対!」や「あぶないから放射能を除去!」と言った今の私たちニンゲンが考える目先の事ではなく、もっと底知れない何かが動いているのだという事を教えられているような気がしてならないのだ。

6 件のコメント:

  1. まいうぅーパパ2011年12月16日 14:26

    お風呂で煮ても生きてたってこと??
    すごいね!!

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  2. 42度ぐらいで大根の葉っぱは煮えるのか。
    う〜ん、なぞだ。

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  3. あまりのオリジナリティに言葉が見つかりません。
    論文発表できるかもしれませんね!
    慣行農法の大根葉とつくしさんの葉は違うかもしれませんね。ぜひ試してください。写真付きで!

    写真のアップの仕方、覚えてほしいー。
    私のはエキサイトなのでちょっと違うでしょうし。。。

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  4. 論文発表!
    どんなあやしー論文でしょうか(笑)。

    ちなみに、最近ウチの家の隣にある竹やぶからその根元の土を持って来て、竹の乾いた葉っぱと一緒に混ぜてビニールポットに入れ、小松菜の種を入れました。
    この寒空の中、小松菜の芽がではじめました。
    実験実験。

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  5. むふふふ

    面白いですねー。

    林さんが、竹は木でなく草だからとても良い、とおっしゃっていました。

    理にかなってますね!

    床土にいつも悩んでますが、結果教えてください!

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  6. あ、なるほど、竹は草と木の真ん中なんですね。それはいいことききました。
    結果はどーなる事やら?また追って報告します。

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