2010年3月20日土曜日

ある女の子




朝、ダンナを駅まで車で送っていく途中で、ある女の子に会う。会うと言ってもこっちが勝手に「あ、いた!」というだけで、本人は私たちの事は知らない。だが、いつもその子を見つけるのがわしらのひそかな楽しみなのだ。

なんといおうか、味わいのある後ろ姿なのである。年の頃は小学校1年生か2年生。よたよたと身体を右にかしげて頼りなげに歩いている。大きな帽子は深くかぶりすぎ、いつもしたばかり見て歩くから、どんな顔をしているのか。背中に背負ったランドセルは彼女の身体にはまだ大きすぎた。よたよた歩くから、その大きなランドセルは左右に振れる。そのランドセルの揺れにひきずられて、なおの事彼女の身体は左右に大きく振れるのだ。親が買ってくれたであろうこれまた大きなジャケットを羽織って、その何もかもが大きい上半身にしてはあまりにもアンバランスなかわいいおみ足が心ぼそげにのびる。

まわりの活発な他の子たちと違い、ぽつねんと一人歩く後ろ姿は、小学生にしてはや人生の哀愁を漂わせている。これから起こるであろう彼女のいろいろな人生をすでに知りつつ覚悟をしているかのような、あきらめにも似た虚脱感。前世というものがあるとすれば、彼女はその記憶をまだそこにとどめているのかもしれない。

道で何かを見つける。立ち止まって、じーっと集中する。後ろを歩いていた集団の子供たちが、まるでそこに誰もいないかのように彼女のなかを通りすぎていった。

「ダーリンちゃん(私の事)の小さいときはあんな風だったんだろうね」
彼女を最初に見つけたのは私だ。その後ろ姿に釘付けになった。もしかしたらダンナの言うとおりなのかもしれない。彼女が醸し出す空気感は、私の幼い頃のそれに重なっている。だから引きつけられたのだ。

彼女を微笑ましく見守る私たちがいる。
きっとほかにも彼女をそっと見守る大人たちもいるのだろう。幼かった私もそうやって遠巻きに誰かから見守られていたのかもしれない。その暖かい視線がその子をオブラートでくるみ、やってくる苦難にも乗り越えられる力が与えられるのだ。

絵:コージーミステリー表紙/ハワイで起こる奇妙な事件!

6 件のコメント:

  1. ひょっとしたら、ときどき見かけるあの女の子かなと思いました。私はなんだか心配で。おせっかいかなとも思いつつ、一緒に行く子はいないのかなと。
    いろんな思いで、まわりの人は見守っているのでしょうね。

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  2. たぶん、その子でしょう。
    ときどき背の高いの男の子と歩いていたりもします。そんなときは私も何となくほっとしたりするんですよねえ(笑)。
    大人はまわりの状況と比べて、ああだこうだと判断しがちですが、当の本人はそれが普通なので、あんがい平気だったりするかもしれませんね。かえってああいう子の方が、独立心が強かったりする。
    私もあんな感じだったんですが、ほれ。いたって明るいでしょ?

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  3. まいうぅーぱぱ2010年3月22日 15:12

    最近は、集団登校ってないみたいですね。
    小学校1年生に、あのランドセルはちょっと
    大きすぎますよね。
    ちょっと印象に無いけれど、もうちょっと
    大きくなれば、たくましくなるんじゃない
    かな・・。何しろ、片道20分以上は歩いて
    る訳で、体力は少なくともつくよね。
    頑張れ!

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  4. あの、細っこいおみ足は、やがて大根のようなたくましさをもたらすんだね。これからたのしみだね。

    そういや、私が小学生のとき、山のてっぺんから片道1時間かけて歩いて学校に来る同級生がいた。おとなしくてやさしい子だったけど、芯が強そうだったなあ。

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  5. おととい、こどもらいっぱい連れて、山へ野草とシイタケ採りに行った。籠にいっぱいシイタケ採れて、重い籠を、小さい子がやさ~しくかついでくれた。

    燻製肉の最初のカットを、その子にあげたんだ。男の子だと思ってたら、女の子だった!

    静かだけど、すごく明るい、笑顔がかわいい子だった。あの子の目には、金輪際暗いものは写らないんじゃないかと思っちゃうし、そう願いたい。足太くなってもいいから。

    人間の運命というか、方向性というのんは、どんだけが最初から決まって、どんだけ後から決まるんだろう?

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  6. おお、はっちい隊長。

    強い子は静かでそそとしているものなのだ。犬もそうだし。自我がない強さとでも言おうか。
    そんな子は、この世の醜さも美しさもじっと静かに観察しているんだろうね。それらのものはその子の中をす〜っと通り抜けていく。だからきっと染まらないよ。

    運命かあ。。
    仮にこうだったらこう、みたいな比較が出来ないじゃない、人生は。一つの道しか私たちには見えないもんね。抵抗してみても勝手に流れていく方向ってある。力づくて持っていけないなら、その方向に身を任せるのが一番美しい姿なのかもしれない。
    ということはすでに決まった運命ってあるのかもしれないね。

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