2010年1月25日月曜日

冬の畑

草ぼうぼう畑は今、しずかーに春を待っている。
先日みんなで残りの場所も畝を作り、ついにほぼ畑全域を畝作り終えた。これでしばらくほっておく事ができる。自然農の畝は耕す事もなく、そのまま使い回しなのだ。その上に草や野菜や虫や微生物の屍骸や、ときおり野生動物のうんちなどが折り重なり合って、植物たちにちょうどいい土壌が出来上がってくる。すべては自然まかせなのだ。

夕暮れ近く、畑をみわたす。高尾の西の山に日がしずもうとしている。夕日がまだ若い麦の葉を照らす。青い葉っぱに光が通りぬけ若草色が輝きだす。ドキッとした。なんて美しいのだ。畝は何本も引き延ばされ、その畝の頂上にいくつもの麦のみちができている。それらは整然と並び、そのまわりには大根や水菜やノラボウのいろんな形のみちが縁取る。私はその美しさにかこまれ、一人ことばを失う。

すべては冬の空の下で完全に寝静まっているかに見える。しかしその土の下は密かに次の出番を待ち望む生命たちがうごめいている。そのエネルギーを足の裏に、手の中に、皮膚の隙間に感じる。愛と言う言葉はあまり口にしたくない。しかし誰に向ける愛なのかわからないが、大いなる愛のような得体の知れないものを感じ、心が震えた。

感動はそれを表現してしまった瞬間から、その感動したものとのあいだに距離ができてしまう。だが言葉にできない震える心のあの瞬間は、確かに私と言うものが消えていた。私は野菜で、野菜は私なのだ。

2 件のコメント:

  1. まいうぅーぱぱ2010年1月26日 10:23

    私は、あんなに小さい鼻くそや耳くそみたいな種から、あんな葉っぱが出て、やがて花咲き、実となり、根っことなり。って言うのが信じられないですね。
    一体何倍になるのやら・・・。人間みたいにメシ食ってるわけでも無いのに・・。

    DNAの仕業とは言いながら、どこに植えても大体同じものになる。って言うのも不思議。どゆこっちゃ?

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  2. ほんまほんま。どこまでおっきくなるねん。
    植物に比べたら、人間ってあんましおっきくならんね。
    あ、おなかの中での事考えたら、でっかいかー。

    しかし植物さんはえらいっ!
    メシは自分で探しにいく。特にわたしらの畑に植えられた日にゃ、スパルタもいいとこだもんなあ。どこまで〜も根っこを広げてサバイバルしなければならん。
    でもそのぶん、馬力があります。そんじょそこらのヒヨッコとはわけが違います。岩崎弥太郎みたいな野菜さ!

    あ、畝の外にぱぱさんのだいすきなサンチュが芽を出してました。また食いまくらんと行かんなあ〜。

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