2009年8月17日月曜日

府中での個展




府中での展覧会が終わった。
終わってみれば、いろんな事を考えさせられた貴重な個展だった。

私のこれまでの展覧会は、銀座や、青山や、NYではソーホーの画廊だった。しかしこれが、実は私がほんの一部の世界しか見ていなかったとこに気づかされる。
いままで会場に足を運んでくれる人は、出版社、広告代理店、グラフィックデザイナーなど、いわゆる業界の人がほとんどだった。だからいちいち絵の説明などせずとも、おのずとそれぞれが私の絵に対する考えをもってくれていた。いや、今から思えばそれは単に私の思い違いだったのかもしれない。

今回やった府中での個展は、喫茶店の横にくっついた小さなかわいい画廊だった。知り合いが紹介してくれた画廊だったが、はじめてこの場所に来て、正直に言ってとまどった。それでもここに巡り会ったのも何かの縁だと思い、快く引き受けた。

そこで私を待っていてくれたのは、業界の人々ではなく、一般の人々の絵に対する考え方だった。それまでは、絵を展示場に飾れば、これがどのように使われたのか、どのように絵になっていったのかをわかってくれる人ばかりだった。ところが、そういう業界にいない人々には、私の絵は一体なんなのかわからなかった。

「これはなんですか?」とギャラリーのオーナーさんは聞く。
「あ、これは本の表紙に使われた原画です」と私。
「え?原画?本の...表紙....?」
「ああ、この絵をもとにデザインし印刷し、本の表紙が出来ました」と、私は説明したつもりが、彼女はもっと混乱したようだった。
「どこかで見たことがある絵に見えますが、これはどこかにあったものを模写されたのですか?」という。これには私は困った。
「いや、自分で考えて描きました」というと、びっくりしたようだった。
「ぜ...ぜんぶですか?」「はい。そうです。一から全部です」
ここまで説明した私は、前に同じような経験をした事を思い出した。

それは東京都最後の分校でやった展覧会だった。
一人のおばさまが、食い入るように絵を見ているので、そばによって説明をした。絵の横にアメリカで使われたペーパーバックの見本もつけておいたので、それを指差しながら、
「この絵が、この印刷物の原画です」
「へえ〜〜〜。そうですか〜。」おばさまは、原画と印刷物を見比べてこう言った。
「うまく作りましたねえ〜。これにそっくりじゃないですか」

私は一瞬めまいがした。
おばさまは、私が印刷物をまねて絵を作ったと思い込んでいた。
「いや、違うんです。逆です。この絵がこの印刷物になりました」
といってはみたものの、彼女がその意味を解したとは思えなかった。おばさまは首を傾げながら、その場を立ち去った。まるで私がおかしなことを言う人だと言わんばかりの顔で...。


これが本当の一般的な見方なのだ。私は長い間、専門科の中に知らず知らずに入り込んでいて、一般の人々がどんな感覚で絵を見ていたのかをまったく忘れて、いや、気がついていなかったのだ。足元をすくわれたような気分だった。分校でのおばさまの態度は彼女だけが理解できないのではなく、彼女の言葉を通して私に何かを伝えようとしていたのだ。それを今回の展覧会で確信した。

絵は、みんなが楽しんで生活がゆかいになる手助けをしている。中には個人的な思いをぶつけるものもある。メッセージ性が強くなれば、不快な思いになる絵も出てくるだろう。それはそれでいい。しかし私は生活がゆかいになる方を選んでいこうとおもっている。しかしそれはそうやすやすと出来るものではないのだ。

今回の経験を通して一体どうやったら私の絵を理解できるのか、どうやって広めていけばいいのか、本当に考えさせられた瞬間だった。まさに初心に戻って、いやじつは絵とはいったい何なのか?人にとって「美」とはなんなのか?それを私は真剣に考えなければいけないときに来ている。

本当にいい経験をさせていただいた。ありがとうございました。

絵:ラブロマンス ペーパーバック表紙

2 件のコメント:

  1. まいうぅーパパ2009年8月18日 10:19

    普通に一緒の仕事してる人たちと話していると、説明不要で話が通っちゃう話が、なかなか説明できないって、面白い体験ですよね。
    私の仕事もきっと、正確に伝えられてないと思います・・・。orz

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  2. そーなんす。
    まううーぱぱさんのお仕事もいまいちよくわからないんす(笑)。
    思えばこの世はなんて分業化されたんでしょうか。隣はなにするヒトゾとなってしまいました。
    やはり、噛み砕いて噛み砕いて説明するというのは、自分が今やっている事をはっきりと自覚すると言う作業なのかもしれんね。
    だいじな体験です。

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