2008年11月19日水曜日

ガマンってなに?



「夜中にお腹がすいたら、コンビニ行って何か買えばいいんだもん。我慢しろって言う方が説得力ないよなあ」
珈琲屋のマスターは言う。

ほんの30年前までは考えられなかったことだ。24時間お金さえあれば何でも買える。そのお金だって、100円持ってりゃ、小腹ぐらい満たしてくれる。そのくらいそこらの子供たちは持っている。

そんな子供たちに「ガマンしなさい」という方が説得力がない。
「なんでえ〜?」となる。
「夜中に食べたら、メタボになるわよ」
「お父さんなってんじゃん」
「お、お父さんはいいのよ..」
「なんで〜?」
「お、お父さんはお仕事で、しかたなくなるのよ」
「じゃあ、僕はお仕事じゃないからメタボにはならないよ」
「ちっ..違うのよ。そういう意味ではなくて....」
「いってきま〜す」

これが夜中にお店が開いてなかったら、我慢するしかない。モノも今ほどなかったら、もっと我慢することをしてたかもしれない。そうやって、現状が我慢の程度を作って来たのかもしれない。

アイヌの人が食べるウバユリは、根っこを臼でつき、発酵させ、乾燥させて3年間待ち、それを削って粉にし、水に何度もさらしてきれいにして、やっと食べられるのだと言う。アイヌの人たちだけではなく、私たち日本人もそうやってじっくり食物を作って来た。コンビニなんてないから、自分で調達しなければならない。知らないあいだに根気やガマンを知る。

だから、
「おっかあ、はらへった」
「あー。舌でも噛んでな」となる。

ニンゲンというものは、環境の生き物という。その時その時の環境や状況によって感じ方や、考え方が変わる。
昔は、なにもないがゆえに死が身近にあり、どうしようもない切迫感があった。説得力以前の問題だ。

今はこんなに品物が溢れていて、ガマンを勉強させるのはむずかしい。「未来は食糧難かもしれないのよ!ガマンしなさい!」と言われても、「それがなにか?」と想像もできない。

衣食住というニンゲンの原点がすべて満たされて、動物的緊迫感がなくなると、旗本退屈男になっちゃって、頭だけがぐるぐる回ることになるのかもしれない。まさにバーチャルに生きる人種。


昔読んだ本で、ニンゲンは洞窟で、一切の太陽光線を遮断して生活すると、勝手に1日は25時間サイクルでまわっているのだそう。地球の1日は24時間。この1時間の差はいったいなんだ?
私は勝手に、この1時間の時差によって、何かニンゲンにある種のストレスを生み出し、それが進化の道をたどったのではないか?と考えた。

江戸時代、飛脚は長距離を走らなければいけない前日は、何も食べなかったそうだ。ウシを引かせるのも、前日には何も食べさせなかったと言う。なぜか。
生き物は食べられないことによって一歩「死」に近づくと、俄然「生きよう」として、普段よりすごい力を発揮するという。昔の人は実体験によって、生き物の秘密を知っているのではないだろうか。

ニンゲンの25時間サイクルに、1時間のストレスを与えることによって、進化が成り立って来たとしたら...。

この衣食住満たされた現代の子どもたちは、いったいどこに向っていくのだろう。

絵:ANA「動物診断』子鹿

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