2008年10月4日土曜日

栗は聞いていた



昨日、母からの電話。
「お友達から栗をもらったの。
でも『一週間も手元においてあったから、大丈夫かどうかわからないけど、いる?』と聞かれて、せっかくのご好意を受け取らないのはいけない。
『いいわよ。一週間くらいだったら大丈夫。栗は大好きだから」
と、もらったそう。

開けてみると、やっぱりひからびていた。振ってみると、からからと音がする。中で乾燥してしまったようだ。
しかしせっかくもらったもの、捨てるのもしのびなくて、彼女はボールに一杯水をはり、栗をつけておいた。栗は全部水の上に浮き上がっていて、中に空気が入っているのがわかる。
「一晩置いたらなんとかなるかな?」
と、母はかすかな望みを持った。

翌日。試しに一個よさそうなものをはいでみる。中はほとんど真っ黒。食べられた状態ではない。もう一個開けてみる。やっぱり同じ。
普通なら、ここで人は栗を捨てる。
だが、私に似ていやしい母は(反対だろ)、もう一晩つけておいた。

朝、懲りない母は、また一個はいでみる。やっぱり黒い。
母はそこで、ちょっとイラッとした。(イラッとする方がおかしい)
水に入った栗をぐるぐると手で混ぜながら、
「あんた。ちょっといいかげんにしなさいよ!今度こんなに真っ黒かったら、捨てるぞね!」
と、大きな声で、栗に向って真剣に怒った。
この光景を外から見たら、さぞかしあやしげにちがいない。

そしてその日の夕方4時頃、彼女は捨てるつもりで、栗を一個持ち上げた。
「あれ?」
今までと違って、ずっしりと重い。
はいでみると、まっ黄色いきれいな栗の肌が見えた。それはほくほくの栗だった。
おかしいな...と思いながら、別のをはいでみる。やっぱりほくほくの栗。じゃあ、これは?やっぱり黄色いカワイイ栗。
これは?これは?といいながら、生栗をはぐこと30分。気がついたら、全部の栗をむき終えていた。

彼女はそれを甘く煮て、美味しい甘露煮をつくった。

「ねえ。こんなことってある?」と私に聞く。
最初の3個だけが真っ黒ということは、わざわざ腐っていたのを取り上げただけなのか?そうとはいえない。「ひからびた栗の中でも、一番良さそうなものを選んだんだよ!」と彼女。

では、栗は聞いていたのか?
きっとそうにちがいない。
彼女に脅されて、捨てられちゃかなわんと、必死で元の姿に戻ろうとしたにちがいない。せっかく頑張って栗の実として成長し、この世に出て来たのだから、腐って捨てられるのは、彼らの本望ではないのかもしれない。
なんてけなげなんだ。

母は、この現実をそのまま受け入れることに不安があって、
「甘露煮にしたよく朝、4時頃ふいに目がさめて、ひょっとしたらあの栗はいなくなっているかもしれないと思って、お鍋のふたを開けて確認したのよ」そしたら、ちゃんとお鍋に甘露煮はおさまっていたそうな。

後日そのお友達から「ごめんなさ〜い。あんなのあげちゃって!」と、おわびの電話があった。でも母の栗とのいきさつを聞いて
「ああ〜よかった〜。これで今夜は眠れる」といったそうな。
不思議な友人関係である。(ふつー、信じないだろーっ!)

今日も電話があって「お茶といっしょに美味しく食べた〜」と、喜んでいた。

いやしい心は、山をも動かすに違いない。

絵:ききょう けんぽ表紙掲載

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