2008年8月27日水曜日

コンプレックス


 
うちのダンナに「おまえ、よくそんな歯で、大笑いするなあ」と感心された。彼によると、私の歯は強烈なあらぐい歯で、普通ならコンプレックスの対象になるはずだぞと。ところが全然平気な私がいる。「コンプレックスというものは、人によってぜんぜん違うもんなんだな。本人が気にしないと、逆にまったく気にならないもんなんだなあと、教えられたよ」と笑っていた。私のような場合は、ふつうなら口を手で隠しながら「ほほほ」と笑うものらしい。なるほど。そういう考え方もあったのか。と、感心する私。でも自分じゃ外から見えないから、これが失礼なのかどうかわからない。一度カメラで収めてみてみるというのも手かもしれない、などとしょうもないことを考えるうち、「コンプレックスって何だろう?」と考える。

ここだけの話、この私のあらぐい歯に関しては、「芸術的な歯」だと思っている。たしかに歯医者に行けば、「つくしさんの歯は、ねえ.......」と奥歯に物の挟まったような言い方をしてくれる。でもその、ありとあらゆる方向から生えているこの歯並びは、私にとってどこか自慢なのである。一体この考えがどこから来たのか?
小学生の時、上の歯の中に、一本だけ、おかしなところから生えて来たのがあった。それを見つけた時、子供ながら、ちょっと心配したのだとおもう。母に「お母さん、こんなところから生えて来た...」と見せると、母はその時、何か言ったのだ。その、何か、が思い出せない。今聞いても、本人も思い出せないだろう。けれどもその時、肯定的な言い方をしたはずだ。ひょっとしたら「まあ!芸術的な歯...」といったのかもしれない。

ニンゲンというのもは、本当は、ものすごく単純な生き物かもしれない。まだ自分と言う考えが確立されていうちに、大人や他人に言われたことを、後生大事に持っていたりする。それはたいてい否定的なことを言われたことにおいて。私には体のあちこちにコンプレックスがある。それが発症(?)したのは、近所のおばさんの言葉から来ている。頭が絶壁だの、半分だの、受け口だの、スローだの、いろいろ言われた。今だにどこかで引きずっている。小学生の時に言われたことをだよ!!まったく....。私ってしつこい性格なのだ...。
おばさんは、いっときの憂さ晴らしに、私にいじわるをいったにちがいない。その他人のうさばらしを、私が後生47才まで大事に持っている事自体じつにアホらしいことだ。

同じ状況でも人によって反応がちがう。それは「みにくい」は、誰でも皆「みにくい」と感じているわけではないということだ。すべてはその人の反応いかんにかかっている。逆に言えば、反応を変えさえすれば、この世は違って見えてくるということかもしれない。
「あらぐい歯は、芸術的」、「絶壁頭は、那智の滝のごとく美しく...」なんて考えればいいのだ。ムリってか?

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