2010年3月29日月曜日
イラストレーターは物質主義者
「チューゴクでよー、空飛ぶ岩が写真に写ってたどー」
と、酔った勢いでダンナにいうと、
「おめえ、物質主義者だな」といわれた。
悪いか、物質主義者で。
だいたいだなあ、絵描きは物質主義者でないと、描けないのだ。非物質主義者だと、なんだか描いている対象がぼんや〜となるではないか。
それにイラストレーターが何描いているのかわからんと、クライアントに怒られるのだ。
「つくしさん、これは何ですか?」と言われて、ギャラもらえないのだ。みんながこれは何かはっきりわかるものでないと、広告にならないのだ。
と、いうことは、イラストレーターは芸術家ではないということか。だって、誰が見てもわかるものはどこかで誰かが見ているもので、それはすでに新しいものではないのだ。
それに比べて芸術家は常に誰も知らない新しい世界を追求している。だから、それを最初に提示すると、
「こっ、、、、これは、一体なんですか、、、?」
と、言わせねばならないのだ。そしてじーっと見つめた人は、う〜ん、なるほど。。。とうならなければいけない。それがゲージツだ。
(なのにダンナはゲージツ家のくせに、わかられないと悲しがる)
だけどたまに、この物質主義者の私でも、この世に見えないものも描きたくなるのだ。例えば天狗。
「こっ、こんなものをこの世に現してしまっていーのだろうか。。」
と、描いてる自分がドキドキする。
たとえばキリストさまを一番最初に描いた人はきっとドキドキしたに違いない。神を冒涜するのではないかと。神と言う「形」を作ってしまっていいのかと。お釈迦様だって後々描かれたのだ。人はそのシンボルをいつの間にか崇拝するようになるではないか。
私が描いた天狗さまも後々崇拝されてしまうかもしれないではないか(ないよ)。
つまり目に見えるものはそれだけ人を圧倒してしまうのだ。そしてそれはある種の枠の中に閉じ込めることになる。そういう意味では絵を描くとは、恐ろしい商売である。
絵:「モンスター列伝」五島慶太
2010年3月24日水曜日
ここは渋谷か?
高尾は霊園がてんこもりだ。
年に二回、高尾は渋谷になる。
お彼岸になると駅周辺は人、人、人でごったがえす。ご先祖さまを偲んで花を手向けるのは美しい光景だ。が、なにも同じ日に集中しなくてもいいと思ってしまう。駅前のバス停にずら〜っと並ぶ人、霊園に続く長〜い渋滞。ご先祖さまがこの光景を見ておられたら、へとへとになってやってくる身内を気の毒がられるに違いない。
もし霊魂が存在するとしたなら、ご先祖さまはカレンダーを見て、
「あ、今日はお彼岸だから、あの世(つまり私たちの世)に戻って孫の顔を見に行くとするか〜」
といって、墓の周辺をうろうろするんだろうか。すると他の霊魂たちも同じ墓の周辺をうろうろして、
「あっ、どーもどーも。半年ぶりのごぶさたです」
なんてお隣のお墓同士、ご挨拶なんてかわしたりするんだろうか。
「あれ、お宅はまだ来てませんねえ。ほら、これ。ウチのひ孫です。かわいいでしょ〜」すると左隣の霊魂さんが、
「○○さんところは、ここん所ご家族がおみえでないのよ。あまり刺激しちゃだめよ」
「あっ、こりゃ、しつれいいたしました」
なんてお隣同士気づかったりなんかするんだろうか。
なんか、死んでもこの世と何の変わりもないノリなところがおもしろくないなあ。窮屈そうだなあ。しかしご子息が墓に来るのこないので、一喜一憂したり、ご子息の態度いかんによって、かれらの未来を先祖が決められたりするもんなのだろうか。死んだ人はそこまで力があるんだろうか。
ウチの家は、私が一人っ子でヨメにいき、両親は離婚。家族3人は、完全に別々の墓に入る。父方の墓も彼とそのお嫁さんが入れば無縁仏になる。母方も母とおばが入ればそれも無縁仏になる。私もダンナの長野の墓に入れば、それで無縁仏になる。見事に絶えてしまう運命にある。たぶんみんなを見送るであろう私は子供もいないので、最後にその長野の墓まで行きつけるかどうかも怪しい。でも墓に入るの入らないのは、ホントのこと言うと私はどうでもいいのです。
道ばたでノタレ死んだら、線香の一本ぐらい手向けてもらえたら、それで御の字です。あとはホウカイして、生き物のえさになれたらなによりです。
こんな考えなもんだから、みんなが疲れた思いをしてお墓参りにいくのが気の毒なのです。お墓参りは、ふと思い立った時、亡き人がしのばれたとき、単独で行うのが美しいと私は思う。
そんなときはご先祖さまは
「あれ?お彼岸じゃないから気がつかなかったよ〜」なんていわない。
ふと思い立った瞬間、すでにそこにいるのだ。
いや、ホントのこと言うと、最近私の中でゆらいでいることがある。霊魂は本当に存在するのか?お墓参りは、ご先祖さまのためのものというよりは、その人自身の、何かのリセットのためにあるのではないか?と。お墓参りのあとはなぜか心が清々しくなる。そのために人はその行為を無意識に行っているのかもしれない。
霊はいると思えば存在するし、いないと思えば存在しないのではないだろうか。
絵:「モンスター列伝」盛田昭夫
2010年3月23日火曜日
ニンゲンって変態?
朝起きて、着替えをしながら、
「そうだ。昨日梅祭りの甘酒の売り子をしているときに、あの人に私はあんな事を言ってしまった。あの時あの人は笑っていたけれど、ほんとうは心の中は怒っていたのかもしれない。。。」
と、考えていた。
そのとき、朝起きた瞬間から、思考が動いている事に気がついた。その考えは全く無意識に起こっていた。その内容は、自分が自己嫌悪する内容だった。いや、自己嫌悪できる、と言い直した方がいいのか。自己嫌悪できるようなことを無意識に探していた私がいたのだ。
はたから聞いたら、ばかばかしい事だ。自己嫌悪できる?アホちゃうか。
それに気がついた時、私は愕然とした。そう言えば、いつも考える内容と言えば、あれまずかったかな、これまずかったかな、という内容ばかりなのである。そう考えると、思考していることのほとんどが、この系統のものであることがわかる。でもさ、終わったことをあれこれ考えてみても、終わったことは終わったこと。あとから何のフォローも入れられない。いや、これからのために復習するのだ、と思ってみる。ところがこれが全然学ばないんだな。また同じことをしでかす。
それにさ、ひょっとしたら誰も怒らしていないのかもしれないのに。
でも本当のことを言えば、そんなことは本人はどうでもいいのだ。(この偽善者め)
どうもニンゲンは、問題を自分で見つけてくるクセがあるようなのだ。何も考えなければ、問題は存在しない。しかし「あれ、まずかったかな?」と思った瞬間から「問題」が浮上する。そうしてドキドキしたり、もやもやしたり、後悔したりして、落ち着かなくなる。
朝起きる→思考が動き始める→問題を見つけてくる→動揺する。
こんなパターンを繰り返しているようなのだ。何も考えなかったら感情が動くことはない。ところがこの「感情が動かないこと」をどこかで怖がっているようなのだ。それはまるで「生きている実感がない」とでもおもっているような。
ということは、この一連の感情のパターンをじつは楽しんでいると言えないだろうか。変な話である。自分でわざわざ問題を見つけて来ておいて、それに動揺しながら、楽しんでいる。道ばたに自分で石を置いて、「あ〜っ、あんなところに石がある!」と言いつつ、自分ですっころぶ。
朝起きた瞬間から「問題」や「心配事」をさがしだす。
「ああ、今日は調子が悪い。肩が痛い、腰が痛い、おなかが痛い」
「あのやろう、昨日あんなこと言いやがった。俺が言ったこと、なんにもわかっちゃいねえじゃないか!」
「ああ、今日は会議だ。部長のやろう、またわけのわからん企画打ち出してくるに違いない。。。」
「学校、いきたくないなあ。またいじめられるかもしれない。。。」
部長や同級生は今、この瞬間あなたをいじめているわけではない。なのに、いじめられるかもしれないと、起きてもいない予測でしかないことを、それは確実に起こるかのように考え、心配し始める。起きた瞬間、身体のすべてをチェックし始め、痛いところを見つけてくる。起きた瞬間、私は自己嫌悪するものを見つけてくる。
そしてそれは一日中爆進する!
考えている、と言えば聞こえはいいが、これはほとんど全く無意味な思考じゃないだろうか。まるで創造的ではない。むしろニンゲンを後ろ向きにさせる。行き着くところは「ああ、人生ってむなしい」である。
でもそう考えることをどこかで楽しんでいるとしたら。。。
純文学でもほとんどの内容は人生の苦悩じゃないか。花子や太郎が心の中でもがき苦しむのを読んで楽しんでいるじゃないか。悲惨なニュースを見て「ああ、ひどい」と言いつつ、しばらくじーっと見てないかい?無意識に人生を苦悩することが美徳だと思っていないかい?政治家が悪い、今のシステムが悪いと怒っているときの方が、何も考えないときより楽しくはないか?正直言うと、私はぜんぶ楽しい。
たぶんニンゲンは実感が欲しいのだ。生きているという実感。その実感のためには苦悩でも心配事でも快楽でもなんでもいいのかもしれん。。。。
ニンゲンって、変態だあ〜〜〜〜っ!
え?わたしだけか?
絵:「モンスター列伝」小佐野賢治
2010年3月20日土曜日
ある女の子
朝、ダンナを駅まで車で送っていく途中で、ある女の子に会う。会うと言ってもこっちが勝手に「あ、いた!」というだけで、本人は私たちの事は知らない。だが、いつもその子を見つけるのがわしらのひそかな楽しみなのだ。
なんといおうか、味わいのある後ろ姿なのである。年の頃は小学校1年生か2年生。よたよたと身体を右にかしげて頼りなげに歩いている。大きな帽子は深くかぶりすぎ、いつもしたばかり見て歩くから、どんな顔をしているのか。背中に背負ったランドセルは彼女の身体にはまだ大きすぎた。よたよた歩くから、その大きなランドセルは左右に振れる。そのランドセルの揺れにひきずられて、なおの事彼女の身体は左右に大きく振れるのだ。親が買ってくれたであろうこれまた大きなジャケットを羽織って、その何もかもが大きい上半身にしてはあまりにもアンバランスなかわいいおみ足が心ぼそげにのびる。
まわりの活発な他の子たちと違い、ぽつねんと一人歩く後ろ姿は、小学生にしてはや人生の哀愁を漂わせている。これから起こるであろう彼女のいろいろな人生をすでに知りつつ覚悟をしているかのような、あきらめにも似た虚脱感。前世というものがあるとすれば、彼女はその記憶をまだそこにとどめているのかもしれない。
道で何かを見つける。立ち止まって、じーっと集中する。後ろを歩いていた集団の子供たちが、まるでそこに誰もいないかのように彼女のなかを通りすぎていった。
「ダーリンちゃん(私の事)の小さいときはあんな風だったんだろうね」
彼女を最初に見つけたのは私だ。その後ろ姿に釘付けになった。もしかしたらダンナの言うとおりなのかもしれない。彼女が醸し出す空気感は、私の幼い頃のそれに重なっている。だから引きつけられたのだ。
彼女を微笑ましく見守る私たちがいる。
きっとほかにも彼女をそっと見守る大人たちもいるのだろう。幼かった私もそうやって遠巻きに誰かから見守られていたのかもしれない。その暖かい視線がその子をオブラートでくるみ、やってくる苦難にも乗り越えられる力が与えられるのだ。
絵:コージーミステリー表紙/ハワイで起こる奇妙な事件!
2010年3月15日月曜日
スギ花粉祭り
土日と二日続いた梅祭りも無事終わった。
私は役員だったので、我が町内会の甘酒売りを担当。今年は二日ともお天気で暖かかったせいか、甘酒の売れ行きはぼちぼち。でもま、甘酒はいつものことながら濃厚でおいしく、リピートする人もいたぐらい。よしとするか。
さて、梅祭りと言えば、ついでにスギ花粉祭りでもある。梅の花が咲きほこる頃には、スギ花粉も舞いほこる(ほこるなっちゅうんじゃ)。であるからにして、お客さんも見るからにフニャ〜っとしたお顔の人があちらこちらにいた。
私はとりあえず、マスクをして体制を整える。だって下向いて甘酒に鼻水たらしたらえらいこっちゃ。ポケットには束になったティッシュ、ハンカチ、予備のマスク。そしてハッカ油がしみ込ませてあるティッシュ。かゆみに襲われたら、すかさずそれを口と鼻にあて、ハッカ油を吸い込むのだ。そうするとすわ〜とした空気が頭ん中をかけめぐり、リフレッシュされる。しばらくするとかゆみも鼻水もおさまってくる。が、結局その二日間はそれを使わずに済んだ。
いったい花粉症とはどういうものなのか。ちまたでいわれている事を全部無視して自分の感覚だけで観察する。
まず、朝起きてティッシュの箱を見た瞬間にくしゃみがでる。くしゃみが出ると鼻の奥の壁が膨張をはじめ、それにともなって鼻水がうわ〜っとあふれてくる。
視界にスギの木の姿が入ると、目がかゆくなる。かゆくなるついでにのどもかゆくなってくる。なんか連鎖反応のように症状がやってくるのだ。それはあらゆる事が引き金になる。ネットで『花粉』という言葉を見つけるや否や、顔の中心がフニャ〜っとしてくる。道でマスクをしている人を見れば、自分まで鼻水が垂れてくる。部屋でホコリが舞うのを見ては目がかゆくなる。で、かきはじめるともう止まらない。普段はどっかがかゆいとかいてかゆみはおさまるのだが、花粉症の場合は、かけばかくほどどつぼにはまる。目は真っ赤になるのを通り越して、白目の部分がふくれあがり、目を閉じるのにも違和感が。こうなるとかゆさはとどまるところを知らない。そのかゆさは地球の大気圏をも突破する!
たぶんこういうことではないだろうか。ここで「勝手につくし理論」。
冬、身体は暖をとるために、身体を硬直させる。熱が身体から逃げないためだ。あらゆる器官を閉じているのだ。身体の機能を低下させ、一種の冬眠状態に入っている。そして冬の寒さが緩む頃、夏に向けての準備が始まる。身体はじょじょに開き始める。穴という穴が開き始め、細胞という細胞が硬直を緩め始め、かさぶたをはがすように冬の衣を落とし始める。かさぶたをはがしたあとの皮膚や粘膜は、ウサギの皮を剥いだように敏感で頼りなくひりひりした感じになる。そのいたいけな状態にスギの花粉が「おりゃおりゃおりゃ〜、夏が来るぞ〜おきろ〜」っとばかりに私たちの身体を皮膚をプチプチと刺激するのだ。で、「ああ〜〜、やめて〜。まだ寝ていたいの〜」と布団をかぶる私たち。が、スギは容赦なく、その厚くかぶった布団を無理矢理はがしにかかるのだ。(何?つまりスギ花粉は母親か?)
かくして「起きろ〜」「いや〜ん、まだ寝ていたいの〜」「ええい、起きんかい!」「ぎゃ〜、まだ皮膚がひりひりするの〜!」という格闘が展開されるのだ。
という事は、さっさと起きろと言われているのだ(なんだそりゃ?)。
ここまでは症状の話だ。そこから「反応」がはじまる。その反応いかんによって症状はドつぼにはまるか、スルーできるかが決まってくるような気がする。
「春にむけて身体は変化をしている。だからこのようになるのだ」と、そのまま受け止めることかもしれない。どこかで「かゆいのいやだ。くるしいのいやだ」とその症状に抵抗をするからかきむしる。ナントカしようとするから、もっときつくなる。その症状を野放しにするのだ。「あ、ソ」と知らん顔する。知らん顔すると、花粉症さんは、猛威を振るえなくなるようだ。しゅるしゅる〜っとちっこくなっていく。
なんかそんな気がしている。この二日間はその症状に抵抗するでもなく、そのまま受け止めていた。するとたいして症状が悪化するでもなく、夜も苦しくなく眠れたのだ。
この際、スギ花粉祭りなんてどうや?
花粉せんべい、花粉まんじゅう、花粉汁!なんて作っちゃって、スギ花粉を謳歌するのだ。「スギ花粉音頭」なんて作っちゃってさあ、ぴーひゃら踊っちゃうのだ。
あっ、だめっすか。
私は役員だったので、我が町内会の甘酒売りを担当。今年は二日ともお天気で暖かかったせいか、甘酒の売れ行きはぼちぼち。でもま、甘酒はいつものことながら濃厚でおいしく、リピートする人もいたぐらい。よしとするか。
さて、梅祭りと言えば、ついでにスギ花粉祭りでもある。梅の花が咲きほこる頃には、スギ花粉も舞いほこる(ほこるなっちゅうんじゃ)。であるからにして、お客さんも見るからにフニャ〜っとしたお顔の人があちらこちらにいた。
私はとりあえず、マスクをして体制を整える。だって下向いて甘酒に鼻水たらしたらえらいこっちゃ。ポケットには束になったティッシュ、ハンカチ、予備のマスク。そしてハッカ油がしみ込ませてあるティッシュ。かゆみに襲われたら、すかさずそれを口と鼻にあて、ハッカ油を吸い込むのだ。そうするとすわ〜とした空気が頭ん中をかけめぐり、リフレッシュされる。しばらくするとかゆみも鼻水もおさまってくる。が、結局その二日間はそれを使わずに済んだ。
いったい花粉症とはどういうものなのか。ちまたでいわれている事を全部無視して自分の感覚だけで観察する。
まず、朝起きてティッシュの箱を見た瞬間にくしゃみがでる。くしゃみが出ると鼻の奥の壁が膨張をはじめ、それにともなって鼻水がうわ〜っとあふれてくる。
視界にスギの木の姿が入ると、目がかゆくなる。かゆくなるついでにのどもかゆくなってくる。なんか連鎖反応のように症状がやってくるのだ。それはあらゆる事が引き金になる。ネットで『花粉』という言葉を見つけるや否や、顔の中心がフニャ〜っとしてくる。道でマスクをしている人を見れば、自分まで鼻水が垂れてくる。部屋でホコリが舞うのを見ては目がかゆくなる。で、かきはじめるともう止まらない。普段はどっかがかゆいとかいてかゆみはおさまるのだが、花粉症の場合は、かけばかくほどどつぼにはまる。目は真っ赤になるのを通り越して、白目の部分がふくれあがり、目を閉じるのにも違和感が。こうなるとかゆさはとどまるところを知らない。そのかゆさは地球の大気圏をも突破する!
たぶんこういうことではないだろうか。ここで「勝手につくし理論」。
冬、身体は暖をとるために、身体を硬直させる。熱が身体から逃げないためだ。あらゆる器官を閉じているのだ。身体の機能を低下させ、一種の冬眠状態に入っている。そして冬の寒さが緩む頃、夏に向けての準備が始まる。身体はじょじょに開き始める。穴という穴が開き始め、細胞という細胞が硬直を緩め始め、かさぶたをはがすように冬の衣を落とし始める。かさぶたをはがしたあとの皮膚や粘膜は、ウサギの皮を剥いだように敏感で頼りなくひりひりした感じになる。そのいたいけな状態にスギの花粉が「おりゃおりゃおりゃ〜、夏が来るぞ〜おきろ〜」っとばかりに私たちの身体を皮膚をプチプチと刺激するのだ。で、「ああ〜〜、やめて〜。まだ寝ていたいの〜」と布団をかぶる私たち。が、スギは容赦なく、その厚くかぶった布団を無理矢理はがしにかかるのだ。(何?つまりスギ花粉は母親か?)
かくして「起きろ〜」「いや〜ん、まだ寝ていたいの〜」「ええい、起きんかい!」「ぎゃ〜、まだ皮膚がひりひりするの〜!」という格闘が展開されるのだ。
という事は、さっさと起きろと言われているのだ(なんだそりゃ?)。
ここまでは症状の話だ。そこから「反応」がはじまる。その反応いかんによって症状はドつぼにはまるか、スルーできるかが決まってくるような気がする。
「春にむけて身体は変化をしている。だからこのようになるのだ」と、そのまま受け止めることかもしれない。どこかで「かゆいのいやだ。くるしいのいやだ」とその症状に抵抗をするからかきむしる。ナントカしようとするから、もっときつくなる。その症状を野放しにするのだ。「あ、ソ」と知らん顔する。知らん顔すると、花粉症さんは、猛威を振るえなくなるようだ。しゅるしゅる〜っとちっこくなっていく。
なんかそんな気がしている。この二日間はその症状に抵抗するでもなく、そのまま受け止めていた。するとたいして症状が悪化するでもなく、夜も苦しくなく眠れたのだ。
この際、スギ花粉祭りなんてどうや?
花粉せんべい、花粉まんじゅう、花粉汁!なんて作っちゃって、スギ花粉を謳歌するのだ。「スギ花粉音頭」なんて作っちゃってさあ、ぴーひゃら踊っちゃうのだ。
あっ、だめっすか。
2010年3月7日日曜日
花粉症どうなった?
ここんところ、高尾はずーっと雨か曇り。昨日は珍しく晴れたので、畑はまだ土がべちゃべちゃなのに、なんだかほくほくとうれしくて何種類かの種をおろした。
雨ばかりにもかかわらず、あたりは梅の花が咲き誇って、いい香りが充満している。ここに住み始めて、初めて梅の花の匂いを知った。甘酸っぱい凛とした上品な、まさに日本のにおい。梅の花の香りはその年によって変わる。乾燥した年は全くと言っていいほど香らない。反対に湿度が多いと、とってもいいにおいを放つようにおもえる。ここの土地の人々はそうやって梅の匂いとともに生きて来たんだなあ。
「へ。。。へーーーっくしょん!」
畑で鼻をおっぴろげて梅のにおいを嗅いでいると、いきなりくしゃみが出た。そう。梅の匂いをかぐと、杉花粉まで吸い込んでしまうおまけつきなのだ。かぎたいけどかげないジレンマが起こる。
さて、勝手に石けんなし生活をはじめてもうすぐ1年になる。ちょうど一年前、私は自分の誕生日に「自分の身体を信じる」という座右の銘(?)を置いた。それからというもの、自分の身体にどんな症状が出ても「これは私の身体がいいように調節してくれているのだ」とおもい、そのままにまかせていた。夜中にいきなりおなかに激痛が走ったとき、ふとんのなかでジッとその痛みを観察した。観察するとは感情を交えない事だ。ただ淡々とその痛みをどのように痛くてどのように変化するのかを見るのだ。するとぎゅるぎゅると音を立ててねじれながら痛みが移動するのがわかる。えたいのしれないエネルギーがおなかの中で活発に動いているのだ。それからある地点で、真下にすごい早さで急降下したかと思うと、いきなりうんちをモヨオしたものだ(なんだ、ただのゲリかい)。
実は石けんなし生活を初めて1、2ヶ月後、もの凄い咳に悩まされた。生まれてこのかたこんなに咳を延々とした事はない。朝も昼も夜も夜中もずっと深い咳をし続けて眠れない日々が続いた。さすがにダンナも一瞬病院に行った方がいいんじゃないかとおもったらしい。でも私はこれは何か身体に長い事蓄積していた何かが排泄されている作用で出ているのではないかとおもった。苦しかったが、やっぱりそのままにしておいた。そしてある日その咳もぴったりと終わった。(良い子はまねしないでね)
そんな私は、今年の杉飛び交う季節に何かを期待していた。「花粉症がなおっているんではないか?」と。
ところがだ。いきなり目はかゆくなるわ、鼻水は滝のように出るわ、鼻の奥はふくれあがり息が出来ないわ、くしゃみはとまらないわで、こりゃ、いつもと全く同じじゃねえか!ああ、石けんなし生活はなんのためだったの?!と、感情が吹き上がる。私はこの花粉症という現代病を一生抱えて生きていかなければならないのか!と、大地につっぷした。(してないけど)
鼻水をたらたら流しながら床につっぷしていると、ダンナが、
「あれ、やらないの?」という。なんのことや?
「あれだよ、ほら。観察するやつ。か、ん、さ、つ」
あ、忘れてた。
「ほら。だからO型なんだよ」
夜、窓を開けて夜風を吸い込む。かすかにイガイガとげとげした感触が鼻の中に入ってくる。私の身体はぴくりと反応する。鼻の奥の皮膚がぷく~っとふくれあがってくるのがわかる。と同時に鼻水がタラ~~~。
感情がうごきはじめた。冷静でいられなくなる。観察とは冷静であらねば出来ない。動揺しつつ、観察する事は出来ない(それは観察とはいわない)。腹痛や咳は私のいつもの症状ではないので、観察できたのだ。しかし花粉症となると話はちと違う。その症状がやって来た瞬間、一番つらかったときの事を思い出す。
「ああ、あの状態にだけはなりたくない!」
粘着質の鼻水が鼻とのどの奥を覆い尽くし、まったく息が出来なくなって死ぬかと思った瞬間(鼻水で溺れ死ぬ?鼻水溺死?)がよみがえって、心がおろおろし始めるのだ。
吹き上がる感情をおさえつつ、ジッと観察を始める。鼻の奥の粘膜がスギ花粉に反応しているようだ。壁にイガイガくんがあたったり刺さったりしている。壁が異物に反応してふくれあがってっくる。どうもその奥に入らないように遮断しているようだ。感情を交えないでみていると、やがて不思議な事にそのふくれあがった壁はしゅるしゅるしゅるとしぼみはじめた。鼻水も止まり始める。目のかゆさも消えていく。これはいったいどうゆうことだ?そのとき、心の感情と症状とは連結しているという事に気がついた。
はじめに症状がある。それに反応する心がある、するとその症状はなおさら大きく肥大していく。
これはまるで心の反応と同じじゃないか。
嫌いなヤツがいて、そいつの事ばかり考えていると、ますます嫌いになり、そいつがいる場所の同じ空気まで吸いたくなくなる、あれだ。なんか失敗してしまって、その事をくよくよ悔やんでいると、ますます落ち込んでしまい、あげくのはては死にたくなる、あれだ。
という事は、自分で自分に反応して、症状を巨大化しているのかもしれない。
畑で目のかゆさ、鼻水タラ〜がはじまると、じっと作業の手を止めて、自分の身体に起こっている症状を観察してみる。しばらくすると症状がしぼんでいくのがわかる。
闇をコワいコワいと見ないようにすればするほどその闇はコワくなるが、思い切ってその闇をじっと見つめると、コワくないのと同じだ。
そのやり方を覚えてからまた雨の日々が続いている。今のところ、目のかゆさもそれに向かうと消える。くしゃみも鼻水も出ない。ただ夜中は喉を知らず知らずのうちにかいているようだ。起きていないんだから、観察できないからか。
さて、これが晴れた時どうなるのか。またじっくり自分の症状を観察する事にしょう。
絵:「モンスター列伝」/堤康次郎
2010年3月2日火曜日
パン、こってます
ワタクシ事で恐縮なんですが(いつもそうや)、最近パン作りにばく進中でありまして、なにをそんなにムキになってつくっているのか、自分でも不思議であります。
今もおこたの中には、ホイロ(2次発酵)の真っ最中。きょうは手作りチョコシートおり込みパン。昨日までフランスパンに挑戦していたが、失敗の連続。もうやめちまおうかと思ったが、気を取り直して菓子パンに移行。このいいから加減が私。
それにしてもなんでこんなにはまったかと言うと、そもそも去年の暮れに、流しの下にある得体の知れない四角い箱を見つけたからなのだ。恐る恐る引き出してみると、餅つき機ではないか!前の住人が置いていったものだ。それにしても古い。25年以上も前のしろものだ。ものすごいモチ好きの私は、タイミングよく(ほんとか?ねだったんだろ)友だちからもらったモチ米で、お正月につきたてモチを食べるという幸福をもらった。
よく説明書を読むと、パンもこねられると書いてあるではないか。パンと言えば、近所の小リスちゃんみたいな友だちが、よく「パン出来た」と、おいしいできたてほっかほかを持って来てくれてものだった。その時、パンとは自分で作れるものなのか、と思ったが、あれは高度な技術がいるので、私などにはとても手が出せないと思い込んでいた。ところがつい最近、北海道の友だちまで作っていると聞いてしまった。そんなに簡単なものなのか?あいつに作れて私に出来ないはずはない!(どんなやつやねん)というわけで、見よう見まねではじめちゃったら、もうやみつきになっちまった。
なにがおもしろいって、あの触感なのだ。昔ケーキを作ってはいたが、どうも直接生地に触れられないはがゆさがあった。だがパンはぐちゃぐちゃねちゃねちゃと、これでもかというぐらい触れる。なんだかどろんこ遊びみたいで子供に帰ったような気分。
材料を大きなボウルに入れて、指を突っ込んでまぜまぜするところから、「あ〜」ともう快感が始まる。これが第1の快感。それを今度はこね始める。最初はべちゃべちゃなのに、だんだん生地がまとまってくるという第2の快感。あとは餅つき機でこねこねをおまかせ。んで、発酵。これがまた不思議なのだ。イースト菌が活動をはじめ、ぷくぷくと膨らんでくるのだ。生きているのだ。その不思議さの快感。これが第3弾目。そしてパンの形成もこれまたおママゴトみたい。クロワッサンやメロンパンを作りながら、自分でもほれぼれする。私って天才!(ドーダ理論)第4弾目。ホイロをへて、クライマックスへ。オーブンでポンと焼く!はいっ!できあがり!「きゃ〜〜〜!」とおもわず絶叫してしまう快感なのだ!
ケーキはこうはいかない。焼いた後、カットしてクリームつくって、うまい事のせて、バラの花つくって。。。としんきくさい。
焼いてバット出来上がり!ってえのんがいいのだ。
それにしてもその実験台(毒味)に、近所の友だちを使うのはちと気の毒なんだが。。。
絵:「モンスター列伝」/小林一三